¡ ビバ・スペイン☆ビバ・マドリード生活!
スペイン・マドリードのとある日本企業で働くOL1年目のブログ。スペインの生活、イベント、旅行、仕事、グルメ、トレンドなど現地発最新情報発信!

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ちゃっP

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ラテンな道つっぱしりたい!
大学でスペイン語を専攻、大学3年次にメキシコのイベロアメリカーナ大学へ留学。メキシコ人になりたくてしょうがなかったメキシコ大好き人間でしたが、大学卒業後は会社命令でスペインのマドリードへ。マドリードの某日系企業で2年間働きました。今は日本へ帰国、またラテンな道を模索中・・・。

↓勢いあまってメキシコ留学体験本を出版しました↓要チェック☆




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1808年5月2日

スペイン l海外情報

5月最初のプエンテ(連休)はとある会議の手伝いで忙殺されてました!!という話は『レアル・マドリードまた優勝!2008』で書いたけれども、そもそも何故連休だったのかというと5月1日(木)がメーデー、5月2日(金)がマドリード自治州の祝日であったから。

5月2日。マドリードにとっては大切な日で、5月2日広場(Plaza del 2 de mayo)というものまで存在するほど!町中にも5月2日という文字やゴヤ(1746-1828)の絵などが掲げられていた。

1808年5月2日。

『スペイン独立戦争』">『スペイン独立戦争』です!

その当時、スペインは国際的な緊張関係の只中にいた。特に18世紀末、隣国のフランスで市民革命が勃発すると、その影響はスペインにも及び、ナポレオン軍の侵略を受けることとなる。そして、ナポレオンの破竹の勢いに恐れをなしたスペイン王家は彼に王位を譲渡、ナポレオンの兄、ジョセフがスペイン王座に就く。そんなふがいない王室の動きに対し、郷を煮やしたマドリッドの民衆が蜂起、対ナポレオン独立戦争がはじまる。
(もっと詳しくスペインの動きを知りたい人はコチラ。)

そして町中にあったゴヤ絵は、この2枚。(両方ともプラド美術館にある。)

t062740aqa8.jpg


<1808年5月2日、エジプト人親衛隊との戦闘>
(El 2 de Mayo de 1808. Lucha contra los mamelucos、1814年)

この絵は皇帝ナポレオンが率いるフランス軍(とエジプト人で構成される奴隷傭兵親衛隊)による、スペインへの侵攻と武力統制に対してマドリード市民が起こした、ソル広場での反乱(抵抗)と暴動の様子を描いた作品。

ちなみに現在のソル広場はこんな感じ。

puertadelsol.jpg


大晦日のカウントダウンが行われたりと今もマドリードの中心地だというのは200年経った今も変わっていない。常に人でごったがえしていて、だからスリも多くて要注意なんだけれど中国人扮するミッキーマウスがいたり、マリアッチがいたり、道化師がいたり、なんでもありな広場だ。



Francisco_de_Goya_y_Lucientes_023.jpg

『1808年5月3日、プリンシペ・ピオの丘での銃殺』
(El 3 de Mayo de 1808. Fusilamientos en la montaña del Príncipe Pío、1814)

この作品は1808年5月2日夜間から翌5月3日未明にかけてのマドリード市民の暴動を鎮圧したミュラ将軍率いるフランス軍銃殺執行隊によって、プリンシペ・ピオの丘で女性や子供を含む43名の反乱者が銃殺刑に処された場面を描いている。

そしてこれが現在のプリンシペ・ピオの丘。
monument2demayo.jpg  debot.jpg

銃殺事件のシンボル           デボット寺院(+ジョルディー)



ソル広場から歩いて約20分。
土日になれば、人が芝生の上でごろ~んとしていたり、ねーちゃんがビキニで日光浴していたり、丘だけあって景色も良かったりで、マドリード市民の憩いの場。デボット寺院まであって、プチ観光スポットでもあり、とにかくのんびり~なスペインっぽい雰囲気が漂っている場所。ここでたくさんの人が、虐殺されたなんて考えられません。

そしてソル広場から徒歩10分、プリンシペ・ピオ丘にいく途中にある王宮の壁にマドリード市庁舎によって書かれたこんな看板がある。

dos.jpg



”1808年5月2日
ちょうどこの場所で外国軍隊に対する抗議が始まり、多くの犠牲者が出ました。”


現在のこの場所。

plazadeoriente.jpg



plazadeoriente2.jpg


王宮(Palacio Real)。オリエンテ広場(Plaza de Oriente)。
テラスでカフェできたり、コンサートをやったり、日曜日は散歩する人で溢れるとっても綺麗な場所です。夜もライトアップがいい感じですごくロマンチック。


とてもこれらの場所で多くの人が苦しみ、血を流していたとは想像できない。
普段あまり気にしてなかったけれど、気がつくとマドリードはあちこちに歴史の破片が散らばっていて、それが広場の名前になっていたり銅像の名前になっていたりするのだ。


P.S ということで唯ぽん、何か間違ってたら訂正お願いいたします!!

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ナポレオンのスペイン侵攻ってスペイン人にとっては俺たちの想像以上に忌まわしい歴史みたいね。
ナポレオン軍将校の美術品略奪を語るときにはどんなにアカデミックな本でも「野蛮な」みたいな明らかにキレてる形容詞をつけるし。
だから、そこからの解放の口火を切った5月2日は特別な日なんだろうな。ゴヤの絵では3日の方が有名だけど、歴史的にはまず2日と。

いつ行くかメールするねー!何でも食べるよ!!
2008/05/27(火) 23:18:14 | URL | [ 編集]
ちゃっP
ゴヤの絵では5月3日のほうが有名なんですね!ふむふむ。確かにマドリードでも3日のあの白い男が拡大された部分とかがポスターになったりしてたしなー。

どんなにアカデミックな本でも野蛮なという形容詞をつける、おもしろい発見だね。私がひとつ気になるのは、
ここの記事にも写真のっけたけれど、王宮の壁にあるあの看板、スペイン人なら誰しもがフランス人であるナポレオンの仕業ってわかってるのに、あえて”外国軍隊”と書いたところ!意味深ですね?

何でも食べるー?じゃあマドリード名物のガジョかな?
(牛の内臓煮込み)私は好きじゃないけれどー笑
とにかく日程決まったらメールプリーズ!
まじスペイン物価高いから(マックのバリューセットが1000円くらい)貯金ちゃんとしておいてね!おいしいもの食べたいしね!!!

2008/05/28(水) 20:55:16 | URL | [ 編集]










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